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カテゴリー化,ステレオタイプについて
ステレオタイプというのは固定観念と同じと考えてもいいのですか?それとも違いがあって似ているけど違うもの,まったく違うものなのか気になりました。
ステレオタイプというのは自分が所属している社会集団ではない集団に関する知識を持つということなのだろうか?
外集団は自分が含まれている集団ではないことから,理解しようと同じものとして認知しているのかなと思いました。
私たちは知らず知らずのうちにカテゴリーか,ステレオタイプを行っているが,それによって与える影響があるのだとわかりました。カテゴリー化を行うことは私たちの言語活動,社会活動のために必要ですが,偏見を持たないことが大事だと思いました。
今日の授業内で取り扱った,「カテゴリー化」における外集団均質性効果について例として挙げられた「最近の若い子が・・・」というもの以外でも,何年か前にシールズが,安倍政権に対するデモを行って(主に安全保障について),いて「最近の若い者は政治に積極的に参加している」,「若者は,今の政治のやり方に満足していない」といったイメージを年齢が離れた大人は思っていたようだが,実際はどうでもよいと思っていたり,今の政治のやり方に不満を抱いていない人が多かったりで,確かに集団内の違いというのはあいまいになりやすいものだなと思った。
私たちが北朝鮮の人を苦手とするのにはメディアの力が大きく関係していると思う。このような偏見の原因をなくすと,偏見は減るのだろうか。最後の方の生起頻度の話が少しわからなかった。偏見を持つことは簡単だが,なくすことはとても難しいと思った。
ヒトを分類する代表的なカテゴリーに「性格」が入ってもよいと思ったのですが,「性格」は分類に入らないのですか?性格も大きく分けると知覚で当てはめることができるのではないかと考えたのですが,無理がありますか?
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ステレオタイプの変容(13回目の内容と関連)
人間はよくステレオタイプを持つが,実際にその人と関わってみたり,食べ物を比べたりすると,結果が異なることがある。まずはそのことに対してかかわってみることが大切だと思った。
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ステレオタイプとコミュニケーション(後期に出てきます)
世間話や親との話でこの外集団均質性効果が使われているのではと感じた。
カテゴリー化において人間の行動などを分けて考えるが,言葉の使い方などもカテゴリー化して意味が変化してくると思う。カテゴリー化,ステレオタイプ,錯誤相関は国によって影響のされやすさは変化すると思った。
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その他
集団の中で生きていくうえで,一人ひとりの個性の差異が争いの種になることがあるのは至極当然なのです。大切なのはその「差異」をなくすか強調するかということです。なくせば統一感が生まれますし,強調すればまた違った新鮮味のある集団になります。錯誤相関によって「個性が集団には障害になる」と考えてしまうこともあるかもしれませんが,もう一度考え直してみるのも大切なのかもしれません。