第10回 社会的比較

  • 自己と動機づけについて

なんとなく「レポートの期限に間に合うだろう」というような根拠のない自信を持つことはよくあることだとわかりました。レポートの例だともし期限ぎりぎりになってもセルフハンディキャッピングのような行動もすると思うので,それとも関係が深いのではないかと思いました。

ポジティブイリュージョンは,現実逃避であり,自己防衛という心のシステムというふうにとらえるのは合っていますか?

うつ病患者の自己確証動機は難しいと思った。自分はダメな人間だということに対して,そうだねと認めるわけにも行かないし,そんなこと無いよと否定しても相手を傷つけてしまう。どのように接するのが正しいのだろうか。

  • 社会的比較について

ネット上で自分の(作品に)対する他者の評価と,他の人の作品を比較し,あの人よりも評価が高かったと喜んだり,あの人よりも評価は下でくやしいと思ったりすることがあって,社会的比較とはこういうことなのだなと思いました。

「類は友を呼ぶ」という言葉があるように,人は類似した他者と比較することを好むのは,そのとおりだと思った。自分と育ってきた環境や価値感が違えば違う相手ほど,比較しても無意味なのかと思った。

  • 上方比較・下方比較について

社会的比較を行う場合は,自己高揚動機の面から下方比較を行い,自己改善動機から上方比較を行うと知ることができた。どちらの比較も対比や同化の結果になる可能性があるので,必ずしも良い結果だけになることはないものであるということも学ぶことができた。

人は自分を理解するために他者と自己を比較する。Woodさんの比較方法(?)の中で一番多いのは下方比較だった。自分もバイトで作業が遅かったりすると自分より作業が遅い人と比べてまだましだと思うときがある。そこから人は安心したい生き物なんだと思った。

社会的比較で私は上方比較の方だと感じた。特に就活の場面になると,周りの気合というかやる気がすごく,自分はまだ足りないと感じて落ち込むといったことが多くあります。

上方比較は自分がダイエットとかするときにこの人みたいになりたいという人がいたときに起こりそうと思いました。でもなかなか成果が出なくて落ち込んでいきそうです。

上方比較について,資料には「自分より健康状態が良い人と比べた場合,必ずしも落ち込むとは限らず,ポジティブ経験をすることも多い」(表6.7)とありましたが,自分としては「この人のようになりたい」ではなく,「この人と自分は違うのだろうな」と考えるだろうなと思いました。

 

 

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