第14回 注意の資源

  • とらわれエラーについて

私はよくそういったうっかりミスが多く,パソコンでGメールを聞こうとして,いつも必ず開くメソフィアを開いてしまったりするので,自動化は必ずしも良い方向へいくわけではないのだと改めて思いました。
あと,小学生くらいのとき,女性の先生のことを「お母さん」と間違えて読んでしまうのも,大人の女性を母親として認識するように自動処理されているからなのかと思いました。

とらわれエラーで,学校に使っている道は2つあるんですけど,平日はいつも1つの道に決まっています。休日とかは平日と違う道が混んでいないからもう1つの道で行こうと考えてはいるんですけど,いつもと同じ道を言ってしまうのは具体例なのかなと思いました。

バイクの音がうるさければ結構気づきます。Bluetoothで電話できるんですけど,危ないならなくせばいいのになんでその機能ができたんだろう…?

  • 自動処理と統制処理について

コントロール処理は資源があればあるほどコントロール処理はできるようになるのか?

注意の自動処理を聞いて,社会心理学の授業で聞いた認知的倹約家の「楽して相手をわかりたい」でもあったように,自動処理の根底には楽したい(というのがある)んじゃないかな。

処理の自動化がされたあと,しばらく作業をしなくなったら自動化はなくなってしまうのだろうか。

 

 

カテゴリー: 認知心理学 パーマリンク