第8回 虐待をどう考えるか

  • 虐待について

歳も歳なだけに子供の立場だけでなく,親の立場も考えるようになった。育て方は人それぞれだから,事関わることの多い母は人の目を気にしたり,子どもの考えを考えたり,とても大変だと思った。
DVは遺伝という考え方があるが,虐待も遺伝が関係するのだろうか。

虐待の定義を言ったが,虐待は親が子どもに対して成長を妨げることであると思った。確かに親はしつけのために叩いたり,泣かせたりしてしまうが,それは子どもに対して良い影響を与える行為であれば虐待ではないと考える。子どもが死ぬ可能性のある場合であれば虐待であるし,虐待としつけの境をはっきりさせる基準を決めることは難しいと考える。こう思うと自然ははっきりしていて良いと思った。自然は食うか食われるかの世界であるためわかりやすくてよい。

虐待が増えているのか?という問では,虐待による子供の死は変わっていないというのが不思議でした(ニュースでは虐待などのニュースが増えているように感じています)。子どもの障害が引き金になるのは,そういう子が医療の発達でしっかり生きれていることも関係しているのではないかと思いました。

私は虐待は増えていないと思う。数字では増加傾向にあるということで,私は虐待が昔は虐待として認知されていなかったことを取り上げる。昔がいつの設定かはわかりませんが,心的虐待というのも最近浮上してきたものですよね。今と昔では文明の力も増えましたし,虐待でも他の問題でも細かく分類する分きわどいものも多くなると思います。

虐待の処理件数が増えているから,嬰児殺が減ってきているのだと思います。虐待の件数が増えているか減っているかわかりませんが,多くの人が虐待について興味をもち,虐待の認知件数が増えていけば虐待の抑制になると思います。

母親の経済的困窮や子供の障害と虐待との関連があるということを血縁淘汰理論と進化の観点から考えるというのが驚きでした。究極要因とはいえ,子育てのコストや生存,繁殖から虐待を行っている可能性があるというのが,現実は残酷だと思いました。

 

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